2009年4月12日日曜日

ぜひ読んでください。ホームページから一部抜粋しました!

Ⅱ、疑惑を抱く根拠と、その頃の実態
●(水俣病関係者にあらずんば人にあらずの地域)
このタブーとなっていることを、このような形で発表することは、地域の恥になることでもあり私自身、とても気が重く、身の危険も招来しかねず、長い間、躊躇していた。

しかし、私の心奥の正義観念が、これ以上の躊躇を許さず、そして又、このことに関して潔癖な何人かが、「これを、不明朗なままに過ごすのは耐えられない。」と、私に訴え、また、多くの情報をもたらすので、必要な手順と段階を踏んで発表する次第となったわけである。


この行為が、私に何をもたらすか大体の予想はついている。少なくとも、私はこの地を離れざるを得なくなるだろう。なにしろ、「水俣病関係者にあらずんば人にあらず。」の地域だから。

●(260万円等受領者の実態)

さて、どうして、認定されざる水俣病患者の一時金260万円等受領に関して、「検査を受けた受領者と検査を施した医師との間に、刑法160条、246条①②項等の構成要件に該当すべき行為が介在した。」と、私が思料するに至ったかを述べなければならない。

これは、この地域の真中に住して、私が見聞、経験したことの極く一端である。
平成8年頃であったろうか、医師の検査を受けさえすれば殆ど誰でも「260万円」を貰えるかのような噂が流れてきた。いや、平成7年には、もう、そういう風評があったような記憶がある。不況の真っ最中に、この地方における「260万円」は、親子3人が1年間悠々と暮らしていける金額であった。
ところが、私の親戚筋より、私達親子に(老母がまだ生きていた)、再三電話や訪問があって,それは明らかに親切からであったが「まだ間に合うから、早く申請して検査を受けろ。申請用紙は役場に置いてある。

MA医院に行って検査を受けろ。余計なことさえ言わなければ、ちゃんと2人で合計520万円が貰える。MA先生は町民のためを思ってくださる方だ。

ただし、MU医院に行っては駄目だ。MU先生はなかなか認めてくれない。」と言う。しかも月々2万円程度のお手当てが付き、以後医療費は一切タダであるとのことである。
貧乏暮らしで、520万どころか260万円でさえ転がり込んだら夢のようであろう。
なるほど、私達親子も不知火海沿岸に生まれ育って、その当時はかなり魚を食べた。しかし、幸いにも、水俣病的な感覚障害など自覚したことがない。
MA先生が何とかしてくれるというが、自覚していないのに260万円を目的に検査を受けるとすれば、たとえ貰えなくても詐欺未遂になるだろう。
しかし、それ以上に正義に反することになる。したがって私達はそれを固辞した。

この地域は、取り返しがつかないほど汚れていくにちがいないと、私は思った。それまで私は、貧乏暮らしから抜け出すために、地元・津奈木町で何か小さな商売でも始めようかと計画していた。しかし、ここに及んで、この地で生計を立てるとなると私自身の心も汚れることになる。かくて伯夷・叔斉の苦悩のしずくを味わうことになった。
真性の水俣病患者は、何千万単位の補償金を受けているといわれる。それは、当然であるし、診断に誤りもなかったであろう。いわゆる純然たるニセ患者はいなかったであろうと思われる。ただ、補償金の額と、症状の軽重との相当性に問題があったか否かであろう。

これは事実かどうか分からないが、真性の水俣病患者と称される人物が、体育祭における徒走競技で一等であった、などと噂された。

「謝礼は100万でよかろうか。」などという、医師への謝礼の話題はさかんに聞かれた。
たしかに、他人をして「ニセ患者」と呼ぶ人は少なからずいた。が、今度は、他人をして「ニセ患者」呼ばわりをしていた人々をも含めて、私の周囲は、俄かに「水俣病患者」だらけになったのである。

私の知る元気一杯の、当時40代の男も貰ったというので、「どこが悪いんだ。」と尋ねると、それには答えず「迷惑料ですよ。」と言う。

「迷惑料なら、どうして医師の検査が必要なんだ。」と聞いたら、彼はこう言った。
「あなたには人情が無い。」
何処の家は3人貰った。彼処の家は4人貰った、などと盛んに取りざたされた。

不況下の田舎町に、人々の服装が急に立派になり、飲食店は超満員の大賑わいであった。知人が、「普請も盛んだ」というので、「260万円くらいで普請が出来るかね」といえば、「一家で3人も貰えば足しになるよ。」


津奈木町の場合、町長の言では、260万円等受領者が1,800人。人口6千人足らずの小さな自治体であるから、真性水俣病とされる人たちを含めると、当時40代以上の町民の殆どではあるまいか。

それに、日本各地に散らばっている血縁者を呼び寄せて、検査を受けさせた家もあると聞く。

「260万円受領者」に、どのような検査を受けたのかと聞けば、目隠しをして歩かされた。細い金属の棒で腕を突っつかれた。
その時「痛い」と言えば水俣病として認められない。視角の検査で、横の方が見えると言えばこれまた認められない。
中には、そのような検査さえもなかったという者もいる。脳梗塞、その他の身体障害者にはそのような検査さえなかったのかも知れない。

260万円という夢のような金額が頂けるのだから、少々突っつかれても「痛い」などと言うはずがない。


不思議なのは、260万円等の受領者は狭視角のはずなのに、平気で車の運転をしていることである。


この地域においては極めて高額の「260万円」を貰えるのだから、その検査は、公正な場において厳正なる医科学的方法を以って為さるべきである、と私は考える。しかるに、そのような、恣意の介在する余地の無い検査が行なわれた形跡は今のところ全くない。


「260万円等の受領者」は、月に1,2度は医師の診察を受けなければならない。少なくとも町医者の場合260万円が貰いやすいような診断書を書いてやれば、自分のお得意患者が増える。双方の利害が一致するのである。


この場合、医の倫理が期待しにくい。ところが、或る町医者は、安易に「水俣病の気がある」としなかったことで有名になり、それが当然とはいえ、私から見れば「今時ご立派」である。
その所為かどうか知らないが、最近この医院を訪れたら、「完全閑古」の状態であった。

公的病院で検査を受けようという場合、その前に、「検査の受け方」を某町医者から懇切に指導を受けた、と私の親しい女性が証言した。彼女は、今も婦人消防団の幹部として活躍中である。一方、医師の検査を受ける前には、「こういう風にしなければならない。」と教授方を半ば専門にする者も現れ、その指導現場を、偶然、私自身が目撃した。
いずれにせよ、検査を受ける前に練習していくのは当たり前の由であった。

私の住む近くに、他所から来た水俣病患者支援の居残りで、別姓夫婦が居住している。その夫君の方に、厳格な検査が行なわれたのかと尋ねると「不知火海沿岸だけでなく、熊本県南部の山奥の人たちでさえ、毛髪に基準値以上の水銀が含まれている。」の一点張り。
「そうではない。厳格な医学的検査が行なわれたのか。」と執拗に聞くと、「いや、それはね。」と答えた。たとえ基準値以上の水銀が検出されても、それが必ずしも感覚障害としてあらわれるとは考えられない。ある医師の話では、適量の水銀含有は長寿の効果があるのではないかと思われたりもする、とのことである。

いずれにせよ、消極的にではあるが、感覚障害がないのに260万円を貰ったと認める者が多い。
あるいは、私の知人は脳梗塞で半身不随であるが、それを貰っている。

ある老夫婦、これは、周囲がことごとく「260万円等」を受領しているにも関わらず、きっぱりと申請を拒否した。妻君の方が概略こう語ってくれた。
『夫婦とも少し手が震えるが、これは血圧の所為と思う。たとえ水俣病の気があるとしても、日常生活には支障がない。そりゃ、もう、260万円は、この貧乏暮らしに喉から手が出るほどに欲しい。
しかし、ウソをつかなければならないというし、そんな恐ろしいことはとても出来ない。この上、心まで貧乏になりたくはない。

検査を受けるまでは、「手がしびれる、足が痛い。」などと言っていた人たちが、いざ260万円を手にすると、途端に元気を取り戻す。
水俣病には、260万円ほど効く薬はないね、と夫婦で笑ったものだ。その上、体育祭には、260万円患者こそ元気に走り回っていた。』

そのとき老衰で寝ていた姑に、往診に来た町医者がしきりに申請を強要したという。申請を拒否すると、「後のことはしらないよ。」と言って帰ったという。この医師は、自院の看護婦にまで申請を促したと聞く。その頃、津奈木町の一杯飲み屋に入ると、日本中が不景気という中に、溢れるほどの客で賑わっていた。カウンターの片隅で焼酎を飲んでいると、この店の常連と思しき60代後半くらいの男が、すでに上機嫌になって私の傍らにやって来た。
彼は私のためにビールを注文し、それを私に注ぎながら、「一人当たり260万円で解決するなら安いものだ。自分のところは3人貰った。」と威勢がよい。おそらく彼は、私もそれを貰ったものと思っていたのだろう。

「へー、あんたは水俣病かね。どこが悪いのかね。どこも悪いようには見えんがねえ。」と言ったら、コップを持った手をわなわなと振るわせた。水俣病であることを示したのかと思ったら、そうではなかった。私に対する怒りの振るえなのであった。そして、「津奈木だけではない。どこでもやっていることだ。これは迷惑料だ。君のようなことを言うやつは誰もおらん。」などとわめきながら、私の傍を離れた。
このようにして、わが津奈木町は私の危惧した通り、誇りの持ち得ぬ自治体と化してしまった。

しかし、私にはもうひとつ望みがあった。隣の芦北町を仕事の本拠とすることであった。芦北町は地形も良いし、景色も美しい。県事務所もある。人々は概ね洗練されているようにも見える。
水俣とは余ほど離れているのだから、よもや「260万円」とは無関係であろうと思っていた。が、これも、あっさりと裏切られた。
初秋の頃であった。、この町で、たまたま駅前の居酒屋に入ったときのことである。店のカウンターに大柄の老人がひとり掛けて、ママさん相手に独演の最中であった。

自分は80歳になるが、身体は壮健、精力も旺盛であると、ひとしきり自慢した後は、金がたまって仕方がない。兵隊の金は貰うし、今度は水俣病の260万円まで婆とふたり貰った。
うも、使っても使っても減らんのは、のさり(運)だろうなあ、と、しばし自己陶酔の態である。
実は、この老人は億万長者と言われている御仁なのであった。

「へー、おじさんは、水俣病ですか。」と私が尋ねると、元気な老人は「何、水俣病ではありませんが、町長が申請せろと熱心に言うし、そこのMA医院に行くなら、ちゃんと貰えるようにしてくれます。」と、こともなげに答えた。
「町長ではなくて、町でしょう。」と、私が聞き返すと、億万長者は念を押すように答えた。
「いいえ、町長です。○○君です。」
「MA医院と言われましたが、津奈木町のMA医院ですか。」
と、私が問うと、元気長者は「なーに、そこのMA医院ですよ。産婦人科。」
「詐欺ですねえ、それは。」
私がそう言うと、老人は、急に私を「先生」と呼んで「先生が詐欺とおっしゃるなら、たしかに詐欺です。しかし、上が貰えというのに貰わんという法はありません。なーに、上が貰えと言わんなら貰わんじゃった。」
そして、何処の何がしも、彼処の誰も、と、4、5人の名を挙げて「あっはっはっは。あれらがどうして水俣病なもんですかい。」と、実に天真爛漫。まことに邪気がない。私は心の中で叫ばざるを得なかった。
「芦北町よ、お前もか。」と。

申請を拒否した人を付近の人が村八分同様にしたり、申請を強要したりしたことが芦北町でも津奈木町でも起こったという。
入院していた私の知人がこう語った。
「隣のベッドの入院患者がいみじくも言ったよ。ほんとの水俣病患者に申し訳ない、と。」
260万円ラッシュが治まると、そのことを口にすることは自然にタブーとなって行った。

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水俣病ウソ患者1万1千人

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